計算機のない時代に π を求める — アルキメデスの96角形と分数の挟み撃ち
こんな人向けの記事
- 古代ギリシャ数学が、小数も電卓もなしにどのように数値を扱っていたかに興味がある人
- アルキメデスの円周率の評価で、実際にはどのような計算がなされていたかを知りたい人
- 無理数の数値計算という営みが、古代と現代でどのように地続きになっているかを見たい人
結論
- 円に内接する正多角形の周長は π より小さく、外接する正多角形の周長は π より大きい。辺数を増やすほど両側から π に近づき、96角形まで進めると $\dfrac{223}{71} < \pi < \dfrac{22}{7}$(≒ 3.1408 〜 3.1429)が得られる。
- 辺数を倍にしていく漸化式の途中には $\sqrt{3}$ などの無理数が現れる。これを整数の比(分数)で上下から挟むことで、計算全体を有理数の範囲に収めた。
- $\sqrt{3}$ そのものは分数で書けないが、$\dfrac{265}{153} < \sqrt{3} < \dfrac{1351}{780}$ という有理数の評価で代用できる。正しさは2乗して整数と比較するだけで確かめられる。
導入 — 何が本当の難所だったのか
円に内接する正多角形と外接する正多角形の周長で π を挟む、という発想自体は、現代の感覚ではそれほど突飛ではない。本当の難所はその先にある。古代ギリシャ数学には小数表記が存在せず、扱える数は基本的に整数の比、すなわち有理数に限られていた。しかし多角形の辺数を倍にしていく漸化式の途中には、必ず平方根が現れる。アルキメデスの仕事の中身は、この平方根をいかに有理数で挟み、不等式の向きを保ったまま4回の倍化を完遂したか、という精度管理の連続だったと考えられている。
本記事では、辺数 6 から 96 へ至る計算過程を、現代の読者が辿れる形に組み直しつつ、彼がどこで何を分数で挟まなければならなかったかを順に追っていく。
設定 — 何を、どう挟むのか
直径 1 の円を考える。このとき円周はちょうど π になる。この円に内接する正 n 角形の周長を $a_n$、外接する正 n 角形の周長を $b_n$ とすると、内接側は円周より短く、外接側は円周より長いので、次の不等式が成立する。
$$a_n < \pi < b_n$$
辺の数 n を増やすほど両辺は π に近づく。π そのものに到達はしないが、$b_n – a_n$ の幅は、その時点での π の挟み込み誤差の上界をそのまま与える。片側からの評価だけでは、近づいたところで「どれだけ近づいたか」が原理的に確定しない。両側評価が本質的に必要になるのはこのためである。
出発点 — 正六角形ですでに無理数が顔を出す
出発点には正六角形が便利である。正六角形は、円に内接させると一辺の長さがちょうど半径と等しくなるという、扱いやすい性質を持つ。直径 1 の円なら半径は $1/2$ だから、内接正六角形の一辺は $1/2$、周長は
$$a_6 = 6 \times \frac{1}{2} = 3$$
となる。これは有理数である。一方、外接正六角形では事情が異なる。外接の場合は各辺の中点で円に接するから、中心から辺に下ろした垂線の長さが半径 $1/2$ と等しい。一辺の長さは $2 \times \frac{1}{2} \times \tan 30° = \dfrac{1}{\sqrt{3}}$ となり、周長は
$$b_6 = \frac{6}{\sqrt{3}} = 2\sqrt{3}$$
となる。最初の一歩で、すでに $\sqrt{3}$ という無理数が顔を出している。古代ギリシャの語彙では $\sqrt{3}$ そのものを「数」として書く方法はない。$\sqrt{3}$ を扱うには、これを有理数で上下から挟むしかない、という状況が早くも発生する。
アルキメデスの漸化式 — 多角形を倍にする2つの平均
辺数 n から辺数 2n の正多角形へと進む規則は、次の2式で与えられる。
$$b_{2n} = \frac{2 a_n b_n}{a_n + b_n}$$
$$a_{2n} = \sqrt{a_n \cdot b_{2n}}$$
1本目は $a_n$ と $b_n$ の調和平均、2本目は $a_n$ と新しい $b_{2n}$ の幾何平均になっている。これらが成立する理由は、外接側は接線方向の角の二等分から、内接側は二等分後の弦と元の頂点が作る直角三角形にピタゴラスの定理を適用することから導かれる、という古典的な幾何の手続きに帰着する。
この2式の構造で重要な点は、平方根が現れるのは2本目の幾何平均だけ、ということである。逆に言えば、漸化式を1ステップ回すごとに、ちょうど1回分の平方根を有理数で挟む作業が要求される。多角形を倍化していけば、この作業がそのまま積み重なっていく。

平方根を分数で挟むという作法
ここから記事の中心テーマに入る。古代ギリシャ数学が扱える数は基本的に有理数だから、$\sqrt{3}$ や $\sqrt{2 – \sqrt{3}}$ のような無理数は、必ず2つの有理数で上下から挟む形で扱われる。アルキメデスの『円の計測』からは、彼が次の評価を用いていたことが知られている。
$$\frac{265}{153} < \sqrt{3} < \frac{1351}{780}$$
これらの分数がどう得られたかは原典に明示されておらず、現在では「ヘロンの開平法と等価な反復法」によって導かれたものと考えられている。ヘロンの方法は、$\sqrt{a}$ の近似 $x$ から改良された近似 $x’ = \dfrac{1}{2}\!\left(x + \dfrac{a}{x}\right)$ を作る反復で、有理数 $x$ から有理数 $x’$ を得る作業がすべて整数の四則演算で完結する。
重要なのは、評価の正しさを整数の四則演算だけで検算できる点である。$\dfrac{265}{153} < \sqrt{3}$ は両辺正なので、2乗して比較すればよい。
$$265^2 = 70225, \quad 153^2 \times 3 = 23409 \times 3 = 70227$$
$70225 < 70227$ だから $(265/153)^2 < 3$、すなわち $265/153 < \sqrt{3}$ が確かめられる。同様に $1351^2 = 1825201$、$780^2 \times 3 = 1825200$ から $(1351/780)^2 > 3$、すなわち $1351/780 > \sqrt{3}$ となる。整数の掛け算と大小比較だけで足りる。
そしてこの記事を通じて意識すべき原則を一つ書いておく。漸化式の各場面で、平方根の上下限を「どちらの向きに代入するか」を毎回判定する必要がある、という原則である。式の中で当該の平方根が大きくなるほど結果が大きくなる構造なら、π の上限を作るときは平方根の上限を、下限を作るときは下限を代入する。逆に、平方根が大きくなるほど結果が小さくなる構造なら、選び方も逆になる。単純に「上には上を、下には下を」と固定できる規則ではなく、毎回その式の単調性を見て向きを判定する。判定を誤れば、不等式 $a_n < \pi < b_n$ そのものが破れる。
6→12 を分数だけで進める
規則を実際に1ステップだけ動かしてみる。$a_6 = 3$、$b_6 = 2\sqrt{3}$ から、調和平均の式に代入すると
$$b_{12} = \frac{2 \times 3 \times 2\sqrt{3}}{3 + 2\sqrt{3}} = \frac{12\sqrt{3}}{3 + 2\sqrt{3}}$$
分母を有理化するために $3 – 2\sqrt{3}$ を掛けると、
$$b_{12} = \frac{12\sqrt{3}\,(3 – 2\sqrt{3})}{(3 + 2\sqrt{3})(3 – 2\sqrt{3})} = \frac{36\sqrt{3} – 72}{9 – 12} = 24 – 12\sqrt{3}$$
すなわち $b_{12} = 12(2 – \sqrt{3})$ となる。これは π の上限を与える量だから、これ自体を上から抑える有理数を作る作業が次に要る。$b_{12} = 24 – 12\sqrt{3}$ は $\sqrt{3}$ について減少関数なので、$b_{12}$ を上から抑えるためには $\sqrt{3}$ を下から抑える側、すなわち $265/153 < \sqrt{3}$ を使う。すると
$$b_{12} < 24 - 12 \times \frac{265}{153} = 24 - \frac{3180}{153} = \frac{3672 - 3180}{153} = \frac{492}{153} = \frac{164}{51}$$
が得られ、$\pi < 164/51$ という有理数のみの上限が成立する。$164/51$ は十進法に直せば約 $3.216$ で、まだ精度は粗いが、原理は完全に有理数の範疇に収まっている。ここで「上限を作るのに $\sqrt{3}$ の下限を使う」という、先のセクションで言及した向きの判定が実際に効いていることを確認しておきたい。
次に $a_{12}$ である。幾何平均の式から
$$a_{12} = \sqrt{a_6 \cdot b_{12}} = \sqrt{3 \cdot 12(2 – \sqrt{3})} = 6\sqrt{2 – \sqrt{3}}$$
これは π の下限を与える量で、下から抑える有理数を作りたい。ここで興味深い構造が現れる。$\sqrt{\,}$ の中身 $2 – \sqrt{3}$ をまず下から抑える必要があるが、$2 – \sqrt{3}$ は $\sqrt{3}$ について減少関数なので、$\sqrt{3}$ を上から抑える $1351/780$ を使う。さらに、その結果として得られた有理数の平方根そのものを、もう一度有理数で下から抑える作業が続く。
言い換えれば、6角形から12角形に進むだけで、平方根の有理数挟み撃ちが2段必要になる。「平方根の中の平方根」が、辺数を倍化するほど深くなっていく現象が、ここですでに芽を出している。
入れ子の平方根 — 24・48・96 角形で精度を保つ
12角形の段階で $a_{12} = 6\sqrt{2 – \sqrt{3}}$ という入れ子の平方根が現れた。倍化を重ねるたびに根号が一段ずつ深くなり、96角形では次のようになる。
| $n$ | $a_n$(内接周長の入れ子根号表現) | 近似値 |
|---|---|---|
| 6 | $3$ | 3.000 000 |
| 12 | $6\sqrt{2-\sqrt{3}}$ | 3.105 829 |
| 24 | $12\sqrt{2-\sqrt{2+\sqrt{3}}}$ | 3.132 629 |
| 48 | $24\sqrt{2-\sqrt{2+\sqrt{2+\sqrt{3}}}}$ | 3.139 350 |
| 96 | $\boldsymbol{48\sqrt{2-\sqrt{2+\sqrt{2+\sqrt{2+\sqrt{3}}}}}}$ | 3.141 032 |
構造を読むと、最外層は常に「$\sqrt{2-\cdots}$」で、内側には「$\sqrt{2+\cdots}$」が積み重なっていく。倍化のたびに最も内側に $\sqrt{2+\sqrt{\cdot}}$ が一段追加される形である。形式的に言えば、辺数を $6 \cdot 2^k$ へ進むとき根号の深さは $k+1$ 段になる。
入れ子の平方根を分数に変える手順
「$a_{96} = 48\sqrt{2-\sqrt{2+\sqrt{2+\sqrt{2+\sqrt{3}}}}}$ をどうやって分数にするのか」という疑問に答えるには、2つの仕組みを押さえる必要がある。
① ヘロンの反復(Heron’s method)
$\sqrt{a}$ の有理数近似 $x$ があれば、$x’ = \dfrac{1}{2}\!\left(x + \dfrac{a}{x}\right)$ も有理数で、$x’ > \sqrt{a}$ が必ず成立する(上からの近似)。逆に $a/x’$ は $\sqrt{a}$ の下からの近似になる。どちらも整数の四則演算だけで作れ、$x^2 \gtrless a$ の整数比較で正しさを検算できる。
② 内側から外側へ(Inside-out)
入れ子の根号は、最も内側の $\sqrt{3}$ から順番に分数近似を作り、その結果を一段外の計算に代入する。このとき各段で「上限を使うか下限を使うか」を、その段の式が内側の量に対して単調増加か単調減少かで判断しなければならない。
$n=12$ の場合(2段)を具体的に追うと、この仕組みがよく見える。$a_{12} = 6\sqrt{2-\sqrt{3}}$ は $\pi$ の下限を与えるので、できるだけ大きい下限分数を作りたい。
| 段 | 処理する式 | 使う向き | 理由 |
|---|---|---|---|
| 内 | $\sqrt{3}$ | 上限 $1351/780$ | 次の段で $2-\sqrt{3}$ として引くため、$\sqrt{3}$ が大きいほど $2-\sqrt{3}$ は小さくなる(減少)。下限を作るには大きめの $\sqrt{3}$ を引く |
| ↓ | $2 – \sqrt{3}$ | 下限 $\dfrac{209}{780}$ | $2 – 1351/780 = 209/780 < 2-\sqrt{3}$ (上限の√3 を引いたから下限になる) |
| 外 | $\sqrt{2-\sqrt{3}}$ | 下限 $\sqrt{209/780}$ を下から有理数近似 | $\sqrt{\cdot}$ は単調増加。下限の引数 → 下限の√。ヘロン法で近似分数を作る |
最後に6を掛けると $a_{12}$ の下限分数が得られる。$n=24$ 以降は同じ手順を1段ずつ増やすだけで、$n=96$ では内側から5段の反復が積み重なる。各段でヘロン法を1回使うため、合計4段の倍化で4回の平方根近似が要求される。
なお $\sqrt{209/780}$ の具体的な有理数近似はアルキメデスが何を使ったか原典に残っておらず、現代では「ヘロン法と整合する適切な分数が選ばれたはず」と推定されている。
ただし、深さが増すと精度管理の難しさは加速する。漸化式は2つの量を結合する形をしているため、各段階で導入された有理数挟み撃ちの幅が、次のステップの幅に増幅されて伝播する。最終ステップの $b_{96} – a_{96}$ を意味のある幅に抑え込むためには、各段階でその段階に必要な精度よりも十分に余裕のある分数近似を選んでおかなければならない。実際、選ぶ分数の分母を1桁多く取るか1桁少なく取るかで、最終結果の挟み込み幅が劇的に変わる、という性質をこの手続きは持っている。
現代の言葉で言えば「誤差解析」に相当するこの作業を、アルキメデスは記号も小数もない環境で、頭の中と紙の上で完遂したことになる。彼が96角形までの計算を不等式として書き残しているという事実は、この精度管理のチェーンが少なくとも一度はうまく回ったことを意味している。
結末 — 96角形で得られる二つの分数
4回の倍化を経て、辺数は 6 から 96 になる。アルキメデスが残した不等式は次の通りである。
$$3\frac{10}{71} < \pi < 3\frac{1}{7}$$
仮分数で書き直せば
$$\frac{223}{71} < \pi < \frac{22}{7}$$
となる。両端はいずれも有理数で、十進法に直せば $3.1408\ldots < \pi < 3.1428\ldots$ である。上限の $22/7$ は、現在でも π のもっとも素朴な近似として広く知られる分数になっている。
アルキメデスがこの結果に至るまでに行ったすべての計算は、整数の加減乗除と、平方根を有理数で挟むという一点だけで構成されていた。小数表記も電卓もなく、彼の道具は整数比と幾何の不等式だけだったと考えられている。
古代と現代をつなぐ視点
こうして整理してみると、アルキメデスの π の評価は、「無理数を必要な精度で挟む」という現代の数値計算と、本質において連続している。違うのは、その挟み込みを実行する装置が、当時は人間の頭と紙、現代はシリコンの集積回路である、という点だけと言ってよい。漸化式を回すたびに精度を管理し、不等式の向きを切らさないように分数近似を選ぶという行為そのものは、形を変えて現代の浮動小数点演算や任意精度演算の中に生き続けている。
古代から現代までの π の計算法の変遷については、姉妹記事 [[260501_円周率の小数点]] により広い時代の概観をまとめてある。本記事で扱った古代の方法から、無限級数の時代、そして現代の高速アルゴリズムへと、計算技術がどのように加速していったかを併せて辿ることができる。
本記事のアルキメデスの漸化式(調和平均・幾何平均の2式)の導出・幾何的意味・数値追跡を詳しく知りたい場合は、補足記事 [[260502_アルキメデスの漸化式_深掘り]] を参照されたい。三角関数による step-by-step の証明、順序の必然性、$n=6$ から $n=96$ の数値表、AGM との関係まで掘り下げてある。
まとめ
- 古代の π の計算は、平方根を有理数で挟む技術によって支えられていた
- 96角形を考えたこと自体ではなく、4段階の倍化を通じて精度のチェーンを切らさなかったことが、アルキメデスの本質的な仕事だったと考えられる
- $3\frac{10}{71} < \pi < 3\frac{1}{7}$ という結果は、有理数の演算だけで導かれている
- 無理数を必要な精度で挟むという行為は、現代の数値計算と地続きである


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